東日本大震災。我が家の被害は大したことはなかった。
しかし,家の中が水浸しになり,家族は1週間ほど避難所のお世話になった。
私は,職場に5泊した。同僚たちと一緒に床に雑魚寝していた。
仕事の合間を縫って,自宅に戻り,ぐちゃぐちゃになった家を片づけた。
水が出ないと,きれいにしようがなかった。
「電気よりもガスよりも水が大事」と,痛感した。
市内でも地区によって,ライフラインの復旧にかかった日数は異なった。
我が家はガスが出るまでには1か月かかったが,ありがたいことに電気と水は1週間ほどで出していただいた。
街に出ると,「これは,戦時中に似た風景かもしれない」と,思った。リュックをかついだ人々の割合が普段に比べて格段に多かった。
信号は止まり,車は,大きな交差点でも譲り合って走行していた。
ガソリンがなく,車に乗れず,普段は30分かからずに行ける職場に,いつ来るかわからぬバスを乗り継いで3時間ほどかけて行った。
遠く,北海道からも九州からも水道局の車や消防車が来て走っていた。
全国から支援が来ていることに胸が熱くなった。
このときは,1日におにぎり一つとか,二つとかで過ごしても,おなかが減るということはなかった。非常時の精神状態によるものだったと思う。
幸い,職場では数日して電気が付き,水が出た。
職場の独身男性が,「家にストックがたくさんあったから」と,職場に泊まり込んでいた同僚たち数人のために,米をもってきて炊き,レトルトカレーを人数分持ってきて温めてくれた。
今食べている数百円もする高級レトルトカレーではない。1箱二百円しないレトルトだ。しかし,何を食べたとも感じずに過ごした数日の後で,このとき食べたレトルトカレーの味は忘れられない。おいしかった。しみじみありがたく,おいしかった。
多くの人々が,「大変な思い」などという簡単な言葉では語ることができない時間を過ごした。被害はほとんどないといっても過言ではないほどの我が家だが,思い出したくない悔いのある出来事や思いはある。そのときを過ごした人それぞれの語りつくせないあるいは語りたくないことがあると思う。
ただ,あのときのカレーは,ありがたく,おいしかった。